<会議室>  デザインのきもちとカタチ

(85)### デザインのきもちとカタチ###


昔から使ってきた木のお椀にはプラスティックにない持ち味、口ざわりがあります。
たぶん長い歴史の中で、使う人の必要にせまられて、磨かれてできてきた形だからなのだろうと思います。

豪華な美術品や多機能なハイテク商品に囲まれて生活していても、豊かさが感じられないのはなぜなんだろう。
デザインは人の生活と自然に囲まれて、年月を経ながら育まれていくものなのかな、と思います。

ぼくの机の上には10センチほどの輪切りの丸太が置いてあります。
表面の節と年輪を眺めていると、夜空の天の川や夏の渓流がダブって見えます。

  人やモノ、環境や時間との関係の中にあるのがデザインなのかな。
人と人、人とモノ、モノとモノとの良い関係をつくるのが、デザインなんだと思います。



(86)### デザインスライス###


$ $ 夢を形にするデザイン

お客様は移動手段としてだけのくるまを求めているのではない、というのはあらためて言うまでもありませんが、では何を求めているのでしょうか?
「夢を」と大胆に言ってみます。どんな夢でしょうか。
いつでもどこでも自由に行ける気がする夢。ファッション的に手軽にステイタスを表現できる夢。信頼してまかせられ、買える気がすると言うのも夢に入るかもしれません。
すこしネガティブな表現でお客様の夢を語ってみましたが、理想を高く持つと、今はこれくらいが夢かなと思うのも一つの考え方ではないでしょうか?
もっと高い夢を、どれだけかなえられるか、それがデザイン、と考えるとデザインはすごいと思いませんか?
そこまで言ってしまうと間口を広げすぎる ので、造形や設計デザインに、まずは絞ってみることにします。
夢を感じさせるデザインを、求めてするのは難しいですが、本質を追いかけている人の仕事は夢を感じさせます。 逆に、手軽に手に入る夢はそれだけの夢だとも言え ます。本質を追いかける云々は人に夢を与えようとすることよりも、まず自分自身が夢に近づける着実な歩みをしよう、その結果やプロセスが他のひとにも夢を感じさせる、と言うことだと思います。できればそんなもの作りがしたいものです。手軽な夢を形にしがちですが、自分もほかではお客様と考えると、お客様はデザイ ナーの想像以上に夢の深さを感じています。


$$ 現実に根ざして発展させたデザイン

夢まぼろしと言って、ひと吹きすれば消えてしまうものとして、夢とまぼろしは一緒に論じられることもありますが、夢が何を根拠にして成り立つのか、しっかりした現実を根拠にするのなら、どんな風が吹いても、苦労があっても夢は実現するだろうと思います。
地に足がついた... 最近の新聞や雑誌などで、よく見られるようになった言葉です。 バブル崩壊のあと、たびたび聞く言葉でもあります。地に足が着いたデザインとはなんなのでしょうか? みんなが考える価値のあることではないかという気がします。


$$ デザインの根と表皮 (普遍的なものと一過的なもの)

ある講演を聞く機会があり、その中でポジティブシンキングの話がありました。前向きに考えようとか、イメージトレーニングとも重なるものとも思います。
その中で面白かったのは、脳の古い皮質は本能と情動を、新しい皮質は知情意をつかさどっていて、古い皮質へ刷り込まれた記憶は消えることがなく、人の行動を深いところで律すると言うものでした。そう言えば、意識には根と表面があり、大脳生理学的には古意識と表層意識であり、古意識への訴えは強い潜在力を喚起するということを学生時代に心理学の時間に習った記憶があると思いながら聞いていました。
デザインにも根 (普遍、本質、本芯、原風土) のデザインと表層 (一過、ファ ッション、飾り、アクセント)のデザインがあると思います。 根のデザインと表皮のデザインはどちらが上でどちらが下というものではありません。 ただ、デザインする上で、ああこれは根だ、これは表皮だと感じながらするのとしないのとではなにか違うような気がします。


$$ アイデンティティの源

このあいだあるデザイナーの方からこんな話を聞きました。子供が登校拒否をしているというお母さんがいました。子供が登校拒否を始めていちばんパニックにおちいったのは父親だったということです。子供が学校に行かないで毎日ぶらぶらしている。それ認めれば毎日必死で会社に行っている自分は何なのかということになってくる。 父親もホントは休みたい。会社に行かないでのんびりブラブラしてみたい。しばらくしてあきらめた父親が「おまえはいいなあ」と言ったそうです。
登校拒否とデザイン。どんな関係があったのでしょうか?
ものを作るときは心が自由でなければいいものは出来ないと言うのが、そのデザイナーの主張です。いいデザインをするデザイナーは自由な気持ちでデザインすることが必要で、制約が多いほど、過去を引きずるほど、一本道にのった押し合いへし合いするデザインしかできなくなるのは日頃よく経験することです。本質をデザインするデザイナーへの制約は本質的なことだけであるべきですが、そううまく行かないのが実状です。 それに加え、まわりあらゆる要望をバランスよくまとめる手腕もデザイナーには必要です。相反する素質を求められるデ ザイナーがいい結果を出すためには、ある面で効率と反する、無駄に見えることを多くする必要があるような気もします。どちらにしろ、デザインの創造と責任はデザイナーが負うべきことです。大変なときには、どうしても現実に流されがちになります。こんなとき、本質はなんだろうと原点に帰ってみたいと思います。