![円空仏 [写真 円空仏]](../image/enkuu01.jpg)
【高山郷土館の円空仏】
展示用のガラスケースの向こうにある円空像は、どこか場違いな感じがした。そのかたちが放射するダイナミズムは、よく見る端正な仏像とまったく違う。しいて言えば、アモイに近い感じがした。それほど呪術的だった。アモイとも違うのは、円空自身がその像からチラチラ見える。好好爺(こうこうや)とした円空、ニヒルに笑っている円空、得体のしれないほど怖い円空、そんな円空がそこにいた。
【清峰寺の円空仏】
ガラガラっと戸をあけて、「円空仏を見せていただけますか?」と言ったとき、「円空さんにおまいりかぁ」と声が返ってきた。「あ、違う!」と一瞬に思った。清峰寺の円空仏三体は、今は住む人のいない尼寺の一角にある土蔵に納められている。Sさんというお宅で管理されているというので行ってみた。Sさんのおばあさんと話しながら寺への坂を登る。 寒くなった。 はく息が白い。 キーンとする空気がすがすがしい。 3体あわせて十一面の像は、山里で働く人々のためにあったもので、もともと陳列して鑑賞されるものではなかったと言う。ここでは円空は見られるものではなく、拝まれるものだった。円空の仏像は木なりに木を生かして彫ってある。木っ端を捨てずに小さな仏像をたくさん彫ったという円空の話は本当のような気がした。仏像のない、田舎の人々のために、円空は数多くの像を手早く彫ったという。あのダイナミズムも、必要性から生まれたものだったのかもしれない。
【円空の不思議な笑み】
円空像の顔には不思議な笑みがある。モナリザのようにかすかなもの、やさしく微笑んでいるもの、ややニヒルにくちびるを反り返らせているもの。私にはどれもが、そのときどきの円空自身であるように見える。自分自身を拝ませているのだから、考えようによってはずいぶん不埒な奴だと思う。そんな時代のもの作りにちょっとあこがれてもいる。見た目は違うが、ロックの教祖やベストセラー作家だって、考えようによっては今の時代の円空かもしれない。有名な学者や芸術家は違うような気がする。彼らにはアウトサイダーの匂いがない。円空には反体制の匂いがある。ことばで神秘的な笑みを残すのはむずかしいかもしれない。かたちは万の言葉に勝るときがあると思った。
【千光寺の円空仏】
にゅう川村には60数体の円空仏があるというので行ってみた。田園の中を歩いて1時間というので、車もないし、歩いてみた。見当をつけて横道にそれ、山道を登った。さすがに登りはきつい。たどりついたら、立派な展示館がある。仏像はガラスの向こうにある。 見学順路が決まっている。 照明が暗い。 両面スクナ像は彫りが細かく、密度が高い。 金剛仁王像も身近な気品さえ感じる。 展示品の中に「日本奇人伝」という1700年代に書かれた書物があった。それによると、円空は立木を2本、仏像に仕上げたという。順路をめぐると、出口近くに、ゆうに2mはあるその実物があった。木は裂けていた。現代のエコ的視点から、円空も慈悲深いだけでなく、むごい所もあるな、彫ってみたい衝動に逆らえなかったのかな、などと勝手に思っていたのだが、あとで自分のひとりよがりを思い知ることになる。
【飛騨高山】
朝市で有名な高山の観光ルートからはずれ、東山の旧市街ぞいにある喫茶店での光景。
「なんとかしとかぁ。 心配しとるぅ。」
「どもなん。 なんともなるぅ。」
「電話もかかってこん。」
BGMと高山のことばが交じり合い、居心地がいい。ここは観光のために残された町並みと、今も生活の匂いがする街角があり、私はどちらも好きです。コーヒーの香りを楽しみながら、目は窓の向こうの掘り割りの流れを追っている。ちょっと一息いれるには、こんなところがいいです。
【高山市立図書館にて】
円空について、ちょっとまとめてみました。いままでの断片的な、私の主観を補足し、円空仏のデザインのユニークさの背景を説明してくれると思います。
【円空自身】
天台宗の僧侶としては、一介の遊行僧にすぎなかった円空は、必然的に檀家制度のような行政組織に組み込まれていない山里を歩かざるを得なかった。彼の脳裏には天平期に仏教の改革をかかげ、制度化した仏教のかわりに、農奴の中に新たな信仰を探ろうとした天台密教僧、行基がモデルとしてあったと云われる。行基の時代は白鳳天平の動乱期だった。 宗教改革家としての円空と、それに対する江戸元禄期の安定した世相。既存の制度に組み込まれることのない、社会のアウトサイダーである飛騨のきこりや山里の農民たちと円空との交わりは、ついに町方に容れられることのなかった結果だったように思える。極端にデフォルメされた円空仏のかたちや、ときには宇宙人にさえ思えるカラス天狗などの姿態は、アウトサイダー達に容れられるための方便だったのかもしれない。
「宗教家は有神の芸術家であり、芸術家は無神の宗教家である。」
といったひとがいるが、円空仏に見られる笑いは、社会の大きな流れについに容れられることがなかった円空の、怨笑か、自嘲であったようにも思える。宗教改革者として捕えられないために、言葉を残さず作品のみで表現した、伝統や制度からの脱出をねらったそのかたちは、不思議に今も、われわれの心のなかで生きつづけ、われわれの生き方を深いところで律している原風土を感じさせる。一見、稚拙に見えるのは、かれが単純の美を探り当てた結果なのだろう。仏の宿る神木として立木仏を作った円空には、ロマンへの一途さと同時に、ついに世相を覆すことができなかったというニヒリズムが感じられる。晩年の円空の作品が現存している寺には尼寺が多い。おおらかに欲望を肯定して、自然に生きた晩年の円空を想像するのはハッピーエンドにすぎるだろうか。
【円空への想い】
円空仏を見ていて思うのは、デザイン力というもののすごさです。 きもちが、かたちに、ストレートにつながっている。 円空からはそんなものを感じました。また、いろいろ調べているうちに、ストレートにつなげるためには相当の技術があったんだということもわかりました。顔のない美しい、機能的なデザインが一方にあり、また顔の見えるデザインが他方にある。そんなバランスがあってもいいと思いました。ひとりの人間のなかにも。
*参考文献
円空、人と作品 (三彩社)
円空-その芸術- (太陽社)
匠の旅人-円空思想論 (風琳堂)
円空仏 (星雲社)